能登半島地震から1年
【特集②】地域の〝日常〟を守るのがJAの役割
石川県の奥能登地域を中心に甚大な被害が出た令和6年能登半島地震から1年が経ちました。9月には、再建の兆しがみえた被災地を記録的な豪雨が襲うなど、災害が続くこの間、被災地のJA役職員は、自らも被災者でありながらも、地域のくらしと農業の復旧・復興へ、死力を尽くしてきました。石川県のJA中央会やJA青年組織・女性組織も、それぞれの立場で支援を続けてきました。
この特集では、そうした各組織からのメッセージや取り組みをお伝えします。あわせて、震災直後から被災地取材を続ける日本農業新聞の記者より、これまでの被災地の姿を紹介します。
※この記事の最後に各特集へのリンクがあります。

町外で被災、JA施設は滅茶苦茶に
地震が発生した1月1日、私は夫と珠洲市に出かけていました。地震発生直後、無我夢中で高台に避難し、車中泊をしました。地元は大丈夫なのかと、気が気ではなかったことを覚えています。翌日、何とか道を通れることが分かり、急いで能登町に戻りました。JA本所に行くと事務所内のあらゆるものが散乱し滅茶苦茶。地震のすごさを感じました。
管内では、津波による農地の浸水、農業施設の損壊など、多岐にわたる被害が発生しました。ほ場にもゴミが堆積しましたが、ボランティアの方のお手伝いもあり、米については予定の9割ほどを作付けできました。一方、JAの施設については、まだ直せていない施設もあるのが現状です。
最優先は地域の生活復興
地震直後は、田んぼや農業用ハウス、JA施設など、いろいろな心配事がありましたが、まずは地域の方の普通の生活をどう取り戻すか、ということが頭をよぎりました。農機が駄目になり、家が壊れ、やっぱり皆さん不安だったと思います。
いち早く1月2日に給油所を再開しました。タンクに残っていた分しか販売できませんでしたが、車中泊の人がいたり、帰省中に被害に遭い、移動しなければならない人がいたり、生活インフラを支えるJAとして役割を果たすことの大切さを痛感しました。大変な中、働いてくれた給油所の職員にはとても感謝しています。
店に明かりがつくことで、地域を勇気づけたいと思い、Aコープも1月10日に再開しました。「非常食ばかりでお刺身が食べたかった」「水が使えないから野菜の総菜がうれしい」。そんな声もあり、とても重宝してもらえました。
再開当初は、カップ麺やパックご飯、除菌シートを多くそろえていましたが、今ではいつもの品ぞろえに戻っています。少し日常に近づいてきたなと、うれしくなります。
心強い支援に「一人じゃない」と実感
被災された方に少しでも明るい気持ちになってもらおうと、11月には、JA共済連石川と協力して県内の保養所に招待する旅行企画を実施しました。仲間と温泉やヨガを楽しんでもらい、参加者の喜ぶ顔が見られました。さまざまな支援がありますが、皆さんの笑顔を見て、くつろぎの場を提供するのも大切な支援と実感しました。
JAグループや関係機関、消費者の皆様にも多くの支援をいただき、大変感謝しています。生協の方からは、寄せ書きもいただきました。農産物直売所「おくのといち」に飾っています。自分事のように寄り添っていただき、私たちは「一人じゃない」と、心強く感じました。いつか、お礼に伺いたいと思っています。
管内は、美しい山や海があり、これからも残していきたい素晴らしい地域です。今後もJAが在り続けることで、地域の暮らしを維持できると思います。そして、これからは地域外の皆さんにさまざまな関わりをもって、年に数回でもこの地を訪れていただけるようにしたいと考えています。まだいつもの日常には戻りきっていませんが、職員と一緒に頑張って地域の皆さんの日常を支えていきます。
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