食・農・地域の未来とJA
胃袋と旅をしながら食と農の未来について考える
地球の表面に刻まれた胃袋の欲望
これまでもっぱら日本の農山漁村を歩いてきた私であるが、最近は研究仲間と東南アジアのラオス、ヨーロッパのフランス、アイルランドなどへ調査に出かけるようになった。移動の飛行機はきまって窓際の席を予約する。地球の表面を眺める絶好の機会だからである。私は小さな窓に額を押し付け、地球上にはもはや人間の痕跡が見られない場所はない世紀になったことを実感する。
アラビア半島の砂漠に突如現れる巨大都市ドバイはもとより、広大な砂漠の真ん中にセンターピボットによって造られた円形の灌漑農地、巨大なスエズ運河、地中海に浮かぶ島々の細かな圃場やアルプス山麓の集落景観、リヨン近郊の整然とした畑作地帯などを眺めていると、地球に刻印された胃袋の欲望に圧倒される思いがする。そして、こう考える。古今東西、私たちは皆等しく、日々食べものを食べて生きている。鳥獣虫魚にいたるまで、生きとし生けるものは皆、食べずには生きられない。だから、この地球という奇跡の星は、「食」という行為に彩られた賑わいに満ちているのだと。
さらに人間は「農」という行為を発明し、様々な道具や知恵を駆使して積極的に地球に働きかけてきた。「農」は人びとがつながり合い、知恵を出し合い、暮らしと共に展開する。その結果、地球の表面には圃場や水路、道路や集落など、「食」と「農」をめぐる造形物が多様な景観と文化を生み出してきた。私たちの研究チームは世界各地を歩きながらこうした景観や文化を観察し、その変化や意味について考えている。
ラオス、フランス、アイルランドの食と農―美味しさを生み出すしくみ
ラオスでは、首都ビエンチャンから車で40分ほど離れた村を歩いた。青々とした水田が広がり、大木が佇む。この地域ではそこに「ピー」と呼ばれる精霊が宿ると信じられており、シャーマンも健在だった。スコールが止むと田んぼの中に田螺を探し、漁具を駆使して魚を採る。子どもたちはそれをリヤカーに満載して嬉々として売りに行く。村の食堂では、カオニャオ(もち米)、魚、パパイヤ、コオロギ、タケノコ、ハーブなど、すべてこの小さな村の範囲内で採れた食材で食事が用意される。
フランスではリヨンと近郊農村を訪れた。スーパーマーケットも存在するが、マルシェが賑わう。BIOという表示とその価値は日常に溶け込んでおり、有機農産物を扱う店先では人びとが生産者と話し込み、マルシェでしか買えない出来立てのフレッシュチーズを求めて地域に暮らす人びとが列をなす。美味しいチーズを生産する評判の酪農家を訪ねてみると、牛糞堆肥で育てたトウモロコシと牧草に小麦を混ぜた自給飼料、放牧された牛、チーズやヨーグルトが同じ農場の中に小さな循環の環でつながり、唯一無二の食を生み出せるようになったと教えられた。彼の背中にふと目が留まる。そこには「作り手と一緒に地元を愛そう」というメッセージが書かれていた。そのチーズを味わい、EUの共通農業政策によって食と農が大きく転換を遂げた成果を理解することができた。
「ジャガイモ飢饉」の歴史で知られるアイルランドでは食や農の貧弱さという先入観に反して、商店に並ぶ国産の新鮮な野菜や魚介類の豊富さに目を奪われた。首都ダブリンから車で1時間ほどのウィックローという街では旬の野菜と新鮮なイチゴが人気を集めていた。食べてみると確かに美味しい。その秘密を知りたくて『DEVELOPING RURAL IRELAND : A History of the Irish Agricultural Advisory Services』という一書を読んでみると「農業顧問サービス」という公共事業が重要な役割を果たしてきたとある。国際基準で訓練された農業指導者が各農村に派遣され、農業者と共に農業を再編してきた成果が現代のアイルランド農業に結実しているのである。
Under the Tableという視点から発想する未来
私は胃袋とともに旅をし、料理をして味わっているうちに、ごく近くの地元のものを食べる小さな循環の実現や人びとの選択こそが、食の美味しさや豊かさを生み出していると考えるようになった。工業化が進みつつあるラオスではまだかろうじてその環が維持され、フランスやアイルランドでは農業政策の見直しで小さな循環がつなぎ直され、再評価されていた。
ひるがえって日本はどうだろうか。全体としては小さな循環よりもむしろ、大きいことへの評価が未だ高く、その価値観が社会全体を覆っているように思える。そうした発想や価値観を根本的に変えていくことができれば、各地に展開するささやかで新しい食と農の活動に取り組んでいる人たちや組織をもっと評価し、つなげていくことができるのではないか。そのためにはどのような発想転換が必要だろうかと、仲間と話して気がついたことがある。それは、日本ではOn the Tableに広がる食の話題が豊富である一方、胃袋から排泄、土壌や水、微生物や地球との関係性を論じ得るUnder the Tableの視点から食や農、そしてその循環を考える機会があまりにも少ないということである。
リヨンのソーヌ川とローヌ川が合流する地点に佇む「合流博物館」では、私たち人間は複雑な全体世界の一部であり、すべてはつながっている、それを理解すれば、生物多様性と文化多様性を尊重する行動変容が生まれるというメッセージが繰り返し提示されていた。人間を含めたあらゆるいのちとつながっていくこと、協同していくことは、「食」という行為に彩られた賑わいに満ちた地球で生きることの醍醐味でもある。その真意を理解するためにも、日本の農業者や農業組織、JAの足跡を訪ねる旅を重ねながら、Under the Tableという視点から未来を発想する研究や教育に取り組んでみたいと思っている。