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海外だより

グローバルな視点で日本農業やJAを見つめるために、全中ワシントン駐在員による現地からのタイムリーな情報を発信します。

自分のトラクターなのに修理できない?
―アメリカ農家と「修理する権利」

[October/vol.184]
田代誠吾(JA全中 農政・広報部〈在ワシントン〉)

 広大な農地を大型トラクターやコンバインが走る光景は、アメリカ農業を象徴するものの一つである。農家が自ら機械を整備し、故障すれば自分で修理することも、長く農業の日常の一部だった。
 ところが近年、農機のデジタル化が進み、その当たり前が揺らいでいる。現在の大型農機には多数のセンサーや電子制御装置が搭載され、GPSによる自動操舵そうだや作業データの収集など、高度な技術が使われている。その結果、部品を交換するだけでは修理が完了せず、メーカーの専用ソフトによる診断や再設定が必要になる場合もある。
 こうしたなか、アメリカでは、購入した製品を所有者自身や独立した修理業者が修理できるようにすべきだという「Right to Repair(修理する権利)」をめぐる議論が広がっている。これは農業分野に限った権利ではないが、特に農業分野では、大手農機メーカーJohn Deere(ジョン・ディア)をめぐる問題が大きな注目を集め、2026年7月にはアメリカ連邦取引委員会(FTC)などとの和解に向けた動きがあった。
 さて、本号では、John Deereをめぐる事例を中心に、アメリカ農業における「修理する権利」と、農機のデジタル化が農業経営にもたらす新たな課題について紹介したい。

アメリカを代表する農機メーカー「John Deere」

 農業分野で、この問題の中心となってきたのが「John Deere」である。正式な会社名はDeere & Company。緑と黄色のトラクターで知られる、アメリカを代表する農機メーカーだ。
 その歴史は古く、1837年、鍛冶職人だったJohn Deereがイリノイ州グランドデトゥアで会社を創業した。当時、中西部の粘り気の強い土が従来の鋤に付着することに着目し、磨かれた鋼鉄製の鋤を開発したことが事業の出発点である。現在の本社は同州モリーンにあり、John Deereによれば、アメリカ国内だけで16州、60か所以上の拠点に約3万人の従業員を抱える。同社は自らをアメリカ最大の農業機械メーカーとしている。
 その存在感は大きい。FTCなどが2025年に裁判所へ提出した訴状によると、2023年9月時点で、アメリカ国内には少なくとも180万台のJohn Deere製農機が存在していた。大型トラクターやコンバインなどを扱う同社の「Production and Precision Agriculture(生産・精密農業)」部門だけでも、2023年度の世界売上高は268億ドルに達していた。
 つまり今回の「修理する権利」をめぐる問題は、一部の特殊な農機の話ではなく、アメリカの農業現場に広く関係する問題なのである。

数十万ドルの農機、修理には専用ソフト

 FTCなどの訴状によると、John Deereの大型トラクターやコンバインは、新品なら数十万ドルする。一方、適切に整備・修理すれば20年以上使用できる場合もあり、同社はコンバインの平均使用年数を約17年と見積もっていたという。
 問題となったのは、こうした農機の電子的な故障を診断・修理するソフトウエアである。
 FTCは2025年1月、イリノイ州、ミネソタ州とともにJohn Deereを提訴した。FTCによると、すべての電子修理に対応できる診断ソフト「Service ADVISOR」は正規ディーラーに限定され、農家や独立修理業者は一部の修理について正規ディーラーに頼らざるを得なかった。FTCは、これによって農家の修理の選択肢が狭まり、費用や修理までの時間が増加したと主張した。
 農家向けにも診断ツールは販売されていたが、FTCの訴状によると、当時の料金は年間3,160ドルで、電子制御装置の再プログラムなど一部の重要な機能には対応していなかった。また、正規ディーラーの一般的な修理工賃は2024年時点で1時間130~200ドル程度で、農場への出張費用などが加わることもあったとされる。
 農業では、修理にかかる「時間」の意味も大きい。播種はしゅや収穫には適期があり、天候は待ってくれない。収穫期にコンバインが停止し、技術者の到着を待つことになれば、単に修理費が増えるだけでなく、収穫量や農家所得にも影響しかねない。

部品を交換しただけでは動かない

 問題を象徴するのが、電子部品を交換した後の「再プログラム」である。
 FTCの訴状によると、John Deere製農機では、電子制御装置の交換後などに行う再プログラムが、2023年6月までの1年間に世界で約180万件実施されていた。単なる特殊作業ではなく、現代の農機修理では日常的に生じ得る作業ということになる。
 例えば、新しい電子部品を取り付けても、機械側がその部品を正規のものとして認識する「ペアリング」を行わなければ正常に作動しない場合がある。機械そのものを購入して所有していても、そのソフトウエアに十分アクセスできなければ、自ら完全に修理することが難しくなるのである。
 John Deere側は、こうした批判に対し、修理マニュアルや診断ツールなど農家自身による修理手段を順次拡充してきたと説明している。同社は、安全装置や排ガス規制を無効にする改造や、知的財産を侵害する行為まで「修理する権利」に含めるべきではないとの立場も示してきた。

和解へ大きく前進

 この対立が大きく動いたのが今年7月である。2026年7月8日、FTCとアリゾナ、イリノイ、ミシガン、ミネソタ、ウィスコンシンの5州は、John Deereとの和解を発表した。
 和解案では、今後10年間、John Deereが正規ディーラーに提供しているものと同等の修理資源を、農家や独立修理業者にも公正かつ合理的な条件で提供することを求めている。
 対象には、故障コードの読み取り・消去、電子部品の再プログラム、新しく取り付けた部品のペアリング、排ガス関連の制御で停止した農機の再始動、技術マニュアルや故障診断情報へのアクセスなどが含まれる。また、今後新しい修理機能をアメリカ国内の正規ディーラーの50%超に提供した場合、原則として農家や独立修理業者にも同様の機能を提供することになる。
 ただし、9月初め時点でFTCの事件ページでは案件は「Pending(係属中)」となっている。FTCも、この種の合意は連邦地裁の裁判官が承認・署名して初めて法的効力を持つとしており、「すべて決着した」とするのは現時点では正確ではない。

スマート農業時代の「所有」とは

 「修理する権利」をめぐる議論は、John Deereという一企業だけの問題ではない。
 農機のデジタル化によって、自動操舵や精密な施肥・播種など、かつては考えられなかった作業が可能になった。その一方で、農機を動かすソフトウエアやデータへの依存度も高まっている。
 数十万ドルを払って購入したトラクターであっても、電子制御部分まで自由に触れられるとは限らない。「所有しているのだから自分で直せるはず」という従来の感覚と、安全性、環境規制、知的財産を守るためメーカーが一定の管理を必要とするという考え方との間で、新たな線引きが求められている。
 農家にとって「修理する権利」は、自分でレンチを握れるかどうかだけの話ではない。農繁期に機械を止めず、誰に修理を頼むかを選び、その費用と時間を自らコントロールできるかという農業経営の問題でもある。
 農業が高度にデジタル化するほど、「農機を所有するとは何を意味するのか」という一見単純な問いは難しくなる。アメリカで続いてきた「修理する権利」をめぐる議論は、スマート農業がもたらす便利さと、その裏側に生まれた新しい課題を象徴している。

(多数のセンサーや電子制御装置が搭載された最新大型トラクター「8RX 540」。出典:John Deere社HP)
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