トランプ前大統領の勝利に終わった2024年のアメリカ大統領・連邦議会選挙では、共和党にニュースターが誕生したと言われている。スペースXやテスラの創業者として知られる実業家、イーロン・マスク氏である。マスク氏は2024年の選挙戦において、トランプ氏の選挙支援団体や自らが設立した特別政治活動委員会(アメリカPAC、アメリカの政治資金管理団体の一つ)に多額の献金を行う¹とともに、抽選で選ばれた有権者に100万ドルを配布するなどして大きな注目を集めた。自身が買収したツイッター(現X)などでもトランプ氏や共和党候補者への支持を積極的に発信し、トランプ氏や上下院での共和党の勝利における最大の功労者とも言われている。
選挙後、トランプ氏は新政権で新たに設置する「政府効率化省(DOGE)²」のトップにマスク氏を起用すると発表した。また、マスク氏は連日のようにトランプ氏と行動を共にし、新政権の高官人事についても意見を述べるなど、トランプ氏の最側近として既に強い存在感を示している。昨年12月中旬のつなぎ予算の議論において、共和党と民主党の両党指導部で合意した内容にマスク氏が真っ先に反対を表明し、いったん白紙撤回に追い込む流れを主導した出来事などは、マスク氏の影響力を象徴するものだろう。
何かと注目を集めるマスク氏であるが、彼の人物像を理解する上で大変参考になるのがマスク氏の公式伝記本として2023年9月に出版された『イーロン・マスク』である。『スティーブ・ジョブズ』の著者でもあるウォルター・アイザックソン氏が執筆しており、マスク氏の生い立ちからスペースXやテスラの創業、ツイッターの買収に至るまで、彼の波乱に満ちた人生が描かれている。既に読まれた方も多いかもしれないが、物語としても非常に面白い。ここでは筆者が特に印象に残った部分を簡単に紹介したい。
1 ロイター通信によれば、マスク氏はトランプ氏の選挙支援団体に2億5,900万ドル、アメリカPACに2億3,900万ドルの資金を投じたとされる。
2 規制緩和や連邦政府の支出削減等に取り組む組織で、「省」とされているが連邦機関ではなく、諮問機関のような役割になると見られている。
モノづくりにおける5つの戒律
同書では、モノづくりにおいてマスク氏が重視していることが紹介されている。それを要約すれば、①要件をすべて疑うこと、②部品や工程はできる限り減らすこと、③シンプルに、最適にすること、④サイクルタイムを短くすること、⑤自動化すること、となる。ここで筆者が最も重要だと思うのが1つ目の「要件をすべて疑うこと」である。マスク氏は、必要な要件は物理法則に規定されるものだけだとして、これまでの慣行や前提、一般的なルールには縛られず、本質的に必要なものだけに限りなく絞り、徹底して無駄を省いている。
また、設計の技術者と組み立てライン(生産)は常に隣り合わせで作業すべきというのもマスク氏の信念である。「現場の重要性」とも換言できるかもしれないが、設計者と現場の作業員が密に連携することで、製品開発スピードや生産性の向上等を実現している。自社で設計だけを行い、生産を外部委託する方式をマスク氏は好まない。
日本の農業政策の分野に身を置く身としてこれを見て思うのは、制度設計における現場の重要性は当然のこととして、制度があまりにも複雑で、過度な要件が課されているのではないかという点である。民間企業における効率化と税金を使用する制度設計を同列に見ることはできないが、農業政策においても、本質的に必要な仕組みや要件を見極め、徹底的に簡素化していくことが求められるのではないだろうか。それを行わずデジタル化だけを進めても、効果は限定的である。地方自治体や関係団体が制度対応に追われ、本来行うべき地域の活性化などに取り組めないのであれば本末転倒である。マスク氏は、「頭のいい人間が決めた要件ほど危ない」と指摘している。
気が狂いそうな切迫感を持って仕事をしろ
同書を通じて、マスク氏が徹底的な仕事人間である様子が描かれている。ワークライフバランスなど気にかけず、昼夜問わず仕事をし、休みもほとんど取らない。デスクの下で寝ることもあれば、工場や会議室で寝ることもある。レッドブルを愛飲し、自分の時間のほとんどを仕事に充てている。大富豪になってからも、である。
マスク氏は周囲にも同じことを期待する。採用や昇格の際に最も重視されるのはその人の姿勢で、「狂ったように働きたいと望むのがマスク氏の考える『いい姿勢』」となる。夜中や休日の急な連絡も日常茶飯事で、こうした働き方に順応できない者は大抵すぐにクビになるか、自ら去っていく。リモートワークにも否定的で、マスク氏は、「肩を並べて働く方がアイデアもエネルギーも循環する」と信じており、ツイッター社の社員に対しては、出社できるのにしないのであれば辞表を提出しろと迫っている。
現在の日本では、こうした働き方を称賛することすらもはばかられる風潮がある。しかし、仕事に対する冷徹なまでのストイックさがなければ、現在のスペースXやテスラの発展はなかっただろう。
話がややそれるが、先日筆者が在米日本大使館でお会いした日本の酒蔵の若社長は、睡眠時間3時間で、300日近く休みなく働き続けていると話していたが、先代から受け継いだ酒蔵を発展させるべく新しい挑戦に取り組む姿には、情熱があふれていた。精神的な健康を害することは避けなければならないが、働きたい人まで労働時間を制限するのは過度ではないかと思うし、熱意を持って仕事をする人が正当に評価され、報われる社会もまた必要なのではないだろうか。

(写真は紀伊國屋書店HPより)