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食・農・地域の未来とJA

日本の食・農・地域の将来についての有識者メッセージ

南極シェフが伝える食・農・地域と地球の未来

渡貫淳子 元南極地域観測隊・南極シェフ

野菜のない日常

 スーパーに野菜が並んでいなかったら・・・そんな日常を想像する人はいないでしょう。
 日本ではいつも新鮮で豊富な種類の野菜が並んでいて、何なら旬じゃなくても夏野菜が買えますが、ところ変われば数か月はまともに生野菜が食べられない、そんな日常があるのです。
 私は南極地域観測隊の調理隊員として一年以上南極に滞在し、そこで働く人の食事を作っていました。日本から直線距離で14,000キロ離れている昭和基地では、使用する食糧は年に一度しか運ぶことができません。途中補給もありませんから、途中で枯渇した食材があってもどうすることもできず、そこにあるものだけで食事を作るのです。

第57次南極地域観測隊(2015-2017)として南極に滞在した

生野菜が食べられる生活は、当たり前ではなかった

 冷凍技術の進歩で肉や魚など長期保存できる食材はたくさんありますし、冷凍野菜も種類が豊富です。皮やヘタが取り除いてあることで、廃棄部分も少なく、カットもしてあるので調理時間も短縮できましたし、さらにはブランチング(加熱処理)してあるので、色も鮮やかで見た目も遜色ありません。ですが、生野菜がまともに食べられない生活を続けていると、なんだかごはんが味気なく感じてくるのです。カレーや揚げ物を食べる時にサラダが欲しいけれど・・・鍋に山盛りの白菜を入れたいけれど・・・そもそも野菜が限られた状況で、献立をたてること自体がどんどん難しくなっていきました。
 いつでも生野菜が食べられる生活が、当たり前ではなかったんだと思い知らされたのです。

南極で野菜を育てる

 生野菜が食べられないなら、現地で野菜を栽培すれば解決するようにも思えますが、南極ではいくつかの制約があります。まず環境保護条約で、土壌の持ち込みができません。さらには種子の持ち込みもできません。ですが、条件をクリアして細々とではありますが、野菜を栽培していました。土が使えないので水耕栽培、種子は環境省に申請をし、許可が下りたものだけではありましたが、わずかであっても生野菜を口にできる事はありがたいことでした。
 実際に栽培をしてみて気がついたことも多くありました。水耕栽培の場合は種まきから収穫まで最低でも3~4週間を要します。やっと育った野菜を一気に収穫してしまうと、そこから1か月はまた生野菜が食べられなくなってしまいます。いかに計画性を持って、収穫時期をずらしながら安定供給していくのかが大きな課題でしたが、日本国内の生産者さんにすれば当たり前に対応されていることでしょう。特に昨今は、今までにない気候変動で予測が難しいながらも、生産者さんのご苦労のおかげで、スーパーから野菜が消えることがなくいつでも欲しい時に欲しい種類の野菜を手に取ることができるのです。

南極で水耕栽培の野菜づくりに挑戦

南極での一番のごちそう

 南極観測が始まってそろそろ70年を迎えます。その間、ごちそうと言われている物はずっと変わっていません。そのごちそうとは、「卵かけごはん」と「キャベツのせん切り」です。
 キャベツのせん切りは日本ではあくまで添え物で、主役になることはないでしょう。でも途中補給のない南極では、キャベツは貴重な貴重な生野菜なのです。定期的に傷んだところを取り除いては、新聞紙で包みなおし、大切に保管しながら、約7か月間、生の食感を楽しむことができました。南極で生活をして1年が経過する頃、交代の人たちが新しい食糧を船に積んで南極に到着します。第一便と言われる家族からの手紙や緊急を要する物資などがヘリコプターで運ばれてくるのですが、その中に皆が待ち望んでいる段ボールがあります。その中身はキャベツです。たかがキャベツ、でも「キャベツ届いた?」「お昼ごはんに生のキャベツ食べられる?」と多くの人が仕事の途中で厨房に顔を出し、キャベツを食べられることを待ち望んでいるのがうかがえました。

真心と工夫をもって南極地域観測隊の食事づくりに臨んだ

野菜を食べるのは健康のため

 日本で生活をしていると「栄養バランスを考えて野菜は一日350g以上摂りましょう」などと言われています。でも南極では、健康維持以前に、無意識に身体だけではなく心も野菜を求めているように感じました。
 月に一度、収穫できた野菜を大皿に盛りつけて食べるのですが、ほとんどの人がその野菜の写真を記念に撮影します。そしていざ、野菜を食べる段になると、ドレッシングなどを使わずに、そのままの味を楽しむ人が多かったのは印象的でした。

月に一度、収穫できた野菜を大皿に盛りつけて食べた

 さらには水耕栽培の部屋で毎晩、歯を磨く人や、休憩時間や仕事に煮詰まった時に、その部屋に椅子を持ち込んで過ごす人が現れました。
 南極は確かに壮大な自然が広がっていますが、目に入る色は、雪と氷の白と、空の青、そして少しだけ露出している岩場の茶色の三色程度です。花が咲くことも無ければ、緑が芽吹くこともない環境で生活していると、季節感も薄れてきます。野菜の緑には心を落ち着かせる効果もあるように感じました。

食べることは力になる

 南極では一日三食きちんと食べられますし、夜食やおやつなども用意しています。でも自分が食べたい時に食べたいものを食べたいだけ食べるという自由はありません。
 日本とは同じようには食べられない制約がある中で、少しでも食事を楽しんでもらう為に、たくさんの工夫が必要でしたが、それ以前に食事を作る為には食材が必要です。食材を育て、収穫する為にいかに時間と労力を費やしてくれているのか。生産者さんがよりよい食材を届けようと奔走してくださっていることに、消費者の我々はもっと思いを馳せなければならないなと思うのです。
 様々な食材があることで、南極でも食卓は豊かになりました。食べることは力になるのです。

南極で育てた野菜。食べることは力になると実感

渡貫淳子

渡貫淳子 わたぬき・じゅんこ

第57次南極地域観測隊(2015-2017)の調理隊員。30代後半に南極地域観測隊の調理隊員への夢を抱き、3度目のチャレンジで合格。昭和基地史上2人目の女性調理隊員(民間人では初)。日本を出発してから帰国まで1年4か月、越冬隊の食事のすべてを執り行う。帰国後は、レシピ紹介や講演会など活動の場を広げる。

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