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JAグループ全国機関のトップに、若手時代のエピソードをシリーズで伺います。
歩んできた経験を通して、JAグループをより知る“Start”にしていただければ幸いです。

家の光協会の伊藤清孝会長 前編

わたしのStartは農家の跡継ぎから/営農から信用担当への転身

JAトップたちの若手時代を聞く
 JAグループは、全国約1,000万人の組合員に向けて多彩な事業を総合的に展開し、日本の食と農、そして地域社会を支えています。本企画では、JAグループ全国機関のトップたちに、シリーズで自身の若手時代のエピソードを伺っていきます。
 仕事を重ねながら歩んできた経験に触れ、JAグループをより知っていただく“Start”にしていただければと思います。
 今回は、主に月刊誌『家の光』を発行し、JAグループの出版・文化団体として、農業・農村文化の向上を目指し多様な文化事業を行っている家の光協会の伊藤清孝会長にお話を伺いました(前編6月、後編7月公開)。

わたしのStartは農家の跡継ぎから

 今年で農協人生45年になりますが、振り返るとあっという間でした。岩手県花巻市で12代続く農家の長男として生まれ、農業を継がないといけないと考えていました。しかし、水稲3haの専業で農業経営が成り立っていた父の世代とは打って変わり、わずかな米作りだけでは生きていけない時代に入っていました。このため、自宅からも近い農協に勤める傍ら、農業に携わる道を選びました。
 農協に入ることが決まったものの、正直なところ、組織や仕事の内容は分かりませんでした。最初の配属は営農の資材係でした。トラックに乗って農家組合員宅に肥料などの資材を配達したり、収穫した米を集荷したりする仕事を担いました。幸い家の手伝いで慣れていましたので、肥料や農薬を見れば銘柄も分かり、仕事の違和感はありませんでしたが、「組合員を理解してもらわなければ困る」と先輩に言われたことを今でも覚えています。当時はよく理解できなかったのですが、仕事の経験を重ねるうちに、組合員の皆さんと「会って話す」重要性を認識するようになりました。

若手時代、花巻農協のお祭りにて(写真:左) 30代のころ(写真:右)

営農から信用担当への転身

 1年が過ぎ「営農の仕事を続けていくのだろうな」と思っていた矢先、金融サービス全般を担う信用部門への異動を命じられました。最初は不安でした。「農協の金融」と言われてもイメージが湧きません。現場を見に行くと、どう見ても銀行業務です。現金を数えたり、端末で残高の管理をしたりしている姿を見て、「自分にできるはずない」と思いましたが、かばんを持って集金に回る外回り業務が始まりました。
 職場を出て一日中訪問先を歩き回り、戻れば現金を合わせる日々。一時期は現金に触れるのが怖くなり、夢にまで出てくることもありました。実行にこそ移しませんでしたが、半年ほどで辞めようとまで思い詰めたことは、今でも忘れられません。
 それでも乗り越えられたのは、「勤めた以上は勤め上げる」という当時の価値観もあったでしょう。当時は就職して数年で辞めるという風潮もなく、辞めてもすぐに次の職場が見つかる時代でもなかったため、頑張るしかありませんでした。そんな中、心の支えになったのは多くの先輩でした。和気あいあいとした雰囲気で、分からないことを聞けば丁寧に教えてくれ、コミュニケーションを取ってくれました。業務を通じた出会いによって交流を深め、経験を積み重ねるうちに、「何とかなるかな」という前向きな気持ちに変わっていきました。同時に、業務とは別に続けていたスポーツや趣味の音楽活動が支えになりました。
(後編へつづく)

家の光協会の伊藤清孝会長
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