食・農・地域の未来とJA
国消国産と関係人口
はじめに:関係人口とは
はじめまして。さんそデザイン共同代表・近畿大学総合社会学部講師の野田満と申します。
僕の仕事は一言でいうと「地域づくりのお手伝い」です。大学で農村計画や地域デザイン等の研究・教育に携わりながら、各地の地域づくりの実践や伴走支援をしています。これまでに色々な地域にお邪魔させて頂きましたが、その殆どがいわゆる農山漁村です。現場で出会ってきた人の多くは一次産業、とりわけ農業に携わる生産者の方々でした。
ラボのプロジェクトとして学生と一緒に地域づくりの支援(調査や設計、制作活動等)に取り組む中で、田んぼや畑、鶏舎といった生産の現場を見せて頂くことがあります。地域によって収穫の時期が異なったり、田んぼが地形をなぞった独特の造形をみせたり、高齢で維持できなくなってしまった農地の草刈りを若い移住者や学生が手伝ったり…そこには地域の風土や知恵、社会関係が凝縮されているように思います。そんな「地域らしさ」で形づくられた尊い風景には、物言わぬ説得力と、切実さがあります。
さて、まずはタイトルにある「関係人口」という言葉について触れておきたいと思います。
いま日本の農山漁村では人口の減少・流出が著しく、地域に住む住民だけでは地域づくりや自治活動の持続が困難になりつつあります。限界集落という言葉も聞いたことがあるかもしれません。一方でそうした地域に外から訪れて地域づくりをサポートしたり、ふるさと納税等を通して金銭的な支援をしたり、足繁く通って地元の方との交流を楽しんだりするような人の存在も少しずつ増えてきました。
このような「地域に住んでいる訳ではないけれど、その地域に継続的に関わっているサポーターやファンのような人たち」は、地域に住む人たち=定住人口になぞらえるかたちで「関係人口」と呼ばれるようになり、今日の地域づくりに欠かせない存在になっています。三大都市圏の18歳以上人口の約18%にあたる861万人が、関係人口として特定の地域に継続的に訪れているとの報告もあります。僕自身も、農山漁村の関係人口の一人です。
地域づくりを考える上で重要な「土の人・風の人」というロジックがあります。地域に住まう住民=土の人と、外から情報や交流の媒介となる風の人、両者の連携・協働によって地域を支えていくという考え方ですが、関係人口は風と土の重なる部分にいる惑星のような人たち(図)であるともいえます。
国消と国産を物語で繋ぐ
前置きが長くなってしまいましたが、国消国産と関係人口というメインテーマに迫っていきたいと思います。
「私たちの国で消費する食べものは、できるだけこの国で生産する」という主旨にもあるように、国消国産という言葉には需要と供給の両方に正面から向き合うことが強調されています。結論を先取りすると、関係人口の存在がこれからの国消と国産とを繋ぐ重要な役割を担っていくのでは、というのが僕の考えです。
関係人口は単なるゲスト=消費者ではありません。そこには主体性や能動性をもって地域に関わる姿があります。僕のラボにもゼミ活動やプロジェクトを通して各地に関わり、住民の方とすっかり仲良くなった学生が大勢います。その他にも、趣味のサーフィンをしに都会から定期的に訪れていた海岸で、地元の方と砂浜の清掃を始めることにしたサーファーの方。一人旅を楽しむつもりが、行く先々で知り合いが増えてきた旅行好きの方。地域に関わる理由や経緯は様々ですが、それぞれの接点の中で生産者の方と繋がる機会も少なくないでしょう。
例えば淡路島では玉ねぎが有名で、「淡路島の玉ねぎ」が好きという方も多いですが、地域との関わりが深くなるにつれて解像度が上がり「淡路島の○○さんのつくる玉ねぎ」が好きになるかもしれません。その理由も美味しいから、安いから、ということだけではなく「集落に入ってすぐ見えるあの畑で作られていて、肥料はこうやって作っていて、でも苦労もしていて、何より○○さんの人柄が好きで…」という風に、固有の場所や人間の存在を伴いながら質量を持った思いへと変わっていくはずです。野菜の産地や味は勿論ですが、その先に透けて見える物語を含めて、僕は国消国産を考えたいと思います。
大学の先生になって10年くらいが経ちますが、地域と関わった学生たちのうち、卒業して社会人になっても地域と関わり続けるOBOGも少なくありません。中には定期的に地域の農産物を購入している例や、起業して地域の農家さんと取引している例もあります。流通量としては些細なものではありますが、こうした関係は単なる生産者と顧客ではなく、互いに見知った同士の「血が通った国消国産」といえるのかもしれません。
関係人口の窓口としてのJAの可能性
僕はたびたび講義で「消費は投票である」と伝えていますが、最近は「消費は手紙である」という言い方を使うようになりました。お金を払って野菜を購入するという行為は使用価値と交換価値のドライな等価取引ではなく、その先にいる生産者の方々へのエールであり、尊敬を込めたメッセージであってほしいと思います。
直売所やアンテナショップ等が台頭してきた現在、「顔の見える野菜」(=生産者が分かる野菜)」というフレーズは概ね一般的なものとなりました。他方でこれからは、顔の見える野菜を「生産者・消費者相互の関係が見える野菜」として位置付け、まるで手紙をやりとりするように、地域を越えて続いていくコミュニケーションの延長上に食が位置付けられることが豊かさの物差しになるのかもしれません。綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、「需要と供給」を越えた物語が生産者と消費者とを繋ぐ時、そんな幾つものリンクが全国各地を取り巻く時、本当の意味での国消国産が実現していくのではないでしょうか。
そんな風に食・農・地域を見つめると、窓口としてのJAのポテンシャルが見えてきます。地域の食や農のゲートウェイとして関係人口を迎え入れて物語を繋いでいく、JAのこれからの新たな役割に期待しています。
<参考文献>
野田満:人的支援の多面的意義と協働の本質的意義、タマリスクVol.123、2015.03
国土交通省:「地域との関わりについてのアンケート」調査結果の公表、https://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000223.html、2024.08閲覧