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食・農・地域の未来とJA

日本の食・農・地域の将来についての有識者メッセージ

「食料安全保障」について考えること

平澤明彦 農林中金総合研究所 理事研究員

「食料安全保障」の危機はウクライナ侵攻終結後も続く

 「食料安全保障」が注目されるようになりました。ロシアのウクライナ侵攻など国際情勢の変化で急に問題化したようにも見えますが、この危機は以前から進行しており、ウクライナ情勢が落ち着いたとしても、深刻な課題として残るでしょう。
 日本は、カロリーベースの食料自給率が38%(2021年度)と低く、多くの農産物を海外から輸入しています。経済力が強かった少し前までなら、好きなものを好きなだけ輸入できましたが、それだけの力はなくなってきました。中国などの経済力を付けてきた国に買い負けることも起きています。
 国際情勢は冷戦後、むしろ不安定さを増しており、もしも輸入が止まった場合、国民を飢えさせないためには国内で食料生産を増やす必要があります。それには最低限の農地が維持されていないといけません。輸入している農産物の生産に必要な農地面積は、国内農地の倍ほどにも相当し、全てを自国で生産するのは現実問題無理でしょう。だとしても、せめて今ある農地は何とかして残していく必要があります。

自由貿易協定が及ぼす影響とは?

 気がかりなのは、人口減少が急速に進む局面に、環太平洋連携協定(TPP)をはじめとする巨大な自由貿易協定が相次ぎ結ばれたことです。需要が減るにもかかわらず海外からの農産物がどんどん入ってきたら、国内農業は打撃を受け、農地を守れなくなってしまいます。
 今も貿易自由化の影響は表れています。肉類は需要が増えているので、1970年ごろまでは輸入が増えても国内生産は伸びていましたが、80年代からは頭打ちとなり、輸入に需要を取られています。青果は、輸入は減っていませんが国内生産量は落ち込んでいます。大豆やトウモロコシなどの穀物は、日本は基本的に輸入する政策を取っており、米だけは国内で自給する体制を取っています。ただし、その米も消費減で生産を抑制せざるを得ず、水田の耕作放棄が増えています。食料安全保障上、農地は足りないのに水田は余っているというおかしな状況になっており、政策として解決策を考えなくてはなりません。

 価格が安くなれば米の消費は増える可能性があります。しかし農家の収入は減って採算が取れなくなるので作らなくなり、農地も守れません。一方で食料の価格を上げると、給与が上がらない状況では消費者は安い輸入品を選んで買うことになるでしょう。結局、農家にとってはいい方向に向かいません。こうした難しい問題に対応し、農家の所得を直接支払いで補償するという政策が考えられます。消費者には、食料安全保障のために補助金で農地を維持する応援をしてもらうというわけです。

 財政負担で農家の所得を支える仕組みは、欧米で先行しており、特に欧州連合(EU)は今、食料安全保障のために農家と農地を維持しようという考えを強めています。英国やスイスには輸入に依存した時代もありましたが、その方向性を反省し、60年、70年間かけて食料自給率を上げてきました。直接支払いの政策支援もあって農業の所得が安定したので、若い後継者が就き、スイスでは30代、40代の農業者が確保されています。それに対し、日本や韓国は関税で農業を守るという従来の考え方を転換できていません。日本、韓国、台湾はともに農地が少ないため経営規模も小さく、そうした国・地域が自由貿易に任せると食料安全保障は悪化します。韓国は食料自給率を急速に落としており、今では日本よりも低くなっています。

本当に困るのは消費者である

 農地が維持できないと、いざという時に困るのは消費者です。産業として農業がもうからないのが問題だという指摘もありますが、収入が比較的よい野菜は農地をそれほど必要としません。農家だけでなく消費者も、自分たちの食料安全保障の問題として日本の農業と農地をこれからどうしていくか、一緒に考えてもらいたいと思います。
 日本の人口は今世紀末には半減すると予測されており、今の農地を維持することができれば、中長期的には輸入依存と農地不足はかなり緩和され、食料安全保障が改善される可能性が見えてきます。次世代やその次の世代の食料問題は、今の私たちの選択と行動次第なのです。
 明るい材料はあります。小麦はずっと輸入に依存してきた作物ですが、近年は技術が上がり、優れた品種が登場し、小麦を扱う製粉・食品メーカーも国産麦への評価を高めています。生産が不安定なことも課題でしたが、備蓄で対応できるようになりそうです。こうした事例を突破口に、米以外の作物を増やして農地を守っていこうという流れが広がることを期待します。

日本の食の未来を切り開くJA

 JAには大きな役割があります。農地は、組合員とJAの事業の基盤です。所得向上や地域の活性化へ農地をどう活用していくか、JAの力が問われます。その取り組みが食料安全保障にもつながります。JA以外にも農地に関わる団体・組織はありますが、地域農業の全体像を描くことができるのはJAをおいてほかにありません。また、JAは組合員、地域の多くの人たちと日頃から接している組織です。農地を守る大切さについて理解を求め、広く発信していく力があります。食料安全保障を支えている姿を示すことで、JAに対する消費者の理解、共感もきっと高まるはずです。

平澤明彦

平澤明彦 ひらさわ・あきひこ

1992年東京大学大学院農学系研究科修士課程修了、2004年東京大学大学院 博士(農学)。研究分野は欧米の農業政策(EU、スイス、米国)、食料安全保障政策(日本、スイスなど)、世界各国の穀物自給率の比較分析など。著作は「スイスの食料安全保障関連政策」(2023年)、「日本の食料安全保障について―基本的な論点と課題―」(2022年)、「EUの2021年CAP改革にみるファームトゥフォーク戦略への対応」(2022年)、「EU共通農業政策(CAP)の新段階」(2019年) など多数。

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