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本気で農業始めました

第1回 子孫を守るタケノコ 特産としても知名度高く

久米千曲 フリーライター

新潟県田上町たがみまちに、教職をいったん離れて家族と共に農業に励む地域の担い手がいます。江戸時代から続く山川仙六農園の後継者・山川敏幸さん(34)です。
「昔ながらの農業を現代版に翻訳し、魅力を広く伝えたい」という思いを乗せ、仲間と共に地域の活動にも参加しています。暮らしや取り組みの拠点となる現場から四季折々に見える農業・農村の価値を探ります。

 新潟県のほぼ中央にあり新潟市にも近い田上町は、信濃川が流れ、森林や田園が広がる自然豊かな農村地帯です。春は特産の一つ、タケノコが出回る時期。旬の時期はわずか1か月間のため、取扱先では「田上のタケノコ」を求める買い物客が連日、長蛇の列を成します。例年に比べて生育が早かった今年は4月上旬に販売を開始。山川さんも連日、父母と共に竹林に入り、午前5時半ごろから穂先を出して出番を待つタケノコをくわで掘り起こしました。掘った後は間伐した竹のチップを肥料にして土に戻す、これが一連の作業です。

掘り起こしたタケノコを手にする山川さん

子孫を守るための品目 春先の収入源として大活躍

 山川さんにとってタケノコは「子孫を守るために植えてくれた品目」と言います。雪深い新潟では春先の収入が安定しないのが実態です。収入源としての期待を込め「5代ほど前に、嫁入り道具の一つとして持ってきたタケノコを植えたのがわが家の栽培の始まりだと聞きます」と明かします。
 竹林は現在、町内5か所に計70aほど。収入は年間でみると「決して多いわけではない」(山川さん)ものの、導入した経緯をたどると「大事にするべき」(同)品目です。
 5、6歳ごろから家族と共に竹林に入り、大人が収穫した重いタケノコを担いで運び、大まかに選別する作業をしてきました。タケノコだけでなく、年間を通じて栽培する多くの品目に関わり、部活動よりも農作業を選ばざるを得ない少年時代を過ごしました。新潟大学農学部を卒業後、親元での就農ではなく農業高校の教師になる道を選びました。

販売先に届けるため軽トラックの荷台に載せた自慢のタケノコ(写真:山川さん)

えぐみがなく白くてやわらかいタケノコを生かした料理

教師を辞めて農家に転身 少量多品目で季節の食を届ける

 教師生活9年目に転機が訪れました。母校でもある加茂農林高校で2回目の勤務をすることになり、地元に戻ったものの前回とは異なる景色が広がりました。実家では農業を共に営んできた祖父の介護が必要になるなど、環境が変化。一方で、農業を教える教師として、今後の方向性を考える時期に入りました。父母や自身の年齢も考慮した上で「農業で食べていくことも悪くない」と決断し、令和2年春に退職、就農しました。ただ教育現場からの要望もあり、退職後も農業をしながら母校で非常勤講師を務めます。
 農園ではタケノコの他、キュウリやナス、ネギ、ダイコンといった季節の野菜や梅、ブドウ、リンゴなどを栽培。米も「コシヒカリ」に「新之助」「こがねもち」と多数あります。
 冬場はキムチに漬物、干しリンゴなどの加工品を作るなど、食べる農業に力を入れます。少量でも季節の食を消費者に届ける――。
 山川さんの農の暦は始まったばかりです。

年間通じて味わってもらうために加工した缶詰

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